2021年6月20日から6月23日に行われた、今年の「日本語学習と企業内研修(SPプログラム)」の研修旅行は、2011年3月に発生した東日本大震災から10年ということもあり、「東日本大震災」をテーマとしました。

当初は岩手県と宮城県を直接訪問する予定でしたが、6月20日まで発令された東京都での緊急事態宣言により、残念ながらそれを実現することは出来ませんでした。そこで、DAADはこの状況においても研修旅行を実施するため、テーマは維持したまま、急遽プログラムと行き先を変更しました。初日はそれぞれの自宅からオンラインで行い、翌日は東京都内で東北の食材や名物料理を使ったお店で昼食をとり、その後、東京都青梅市の旅館に移動して旅を続けました。

この奨学金プログラムの前半では、新型コロナウイルス感染対策のため対面形式でお互いに顔を合わせることが困難であったことを考えると、9人の奨学生全員が、感染対策を十分に行った上でツアーの大半をグループで行えたことは、とりわけ、とても嬉しいことでした。この旅館では、優雅に食事をしたり、宿の周りの静かな山間部を散策したり、川を眺めながらの温泉を楽しんだりすることが出来ました。

今回の研修旅行では、笑いあり、議論あり、交流ありで、東日本大震災とその影響について新たな洞察と多様な視点が得られたばかりではなく、持続可能性や日独交流といったテーマにおける新たな機会も得られました。私たちは、研修旅行でのこの素晴らしい日々と経験を長い間忘れないでしょう。

以下では、それぞれのプログラムについて、その内容と特に私たちにとって印象に残ったことを紹介致します。 (Noster)

石巻市復興まちづくり情報交流館中央館

SP Japanプログラム(日本語学習と企業内研修)第37期の研修旅行は、リチャード・ハルバーシュタット様のご講演によってスタートしました。本来は石巻に直接訪問することを予定していましたが、新型コロナウイルス感染拡大による東京都内での緊急事態宣言発令継続を受けて、急遽オンラインでの実施となりました。ハルバーシュタット様はイングランドご出身で、石巻に住まわれてから20年以上になり、現在は、東日本大震災について展示を行っている「石巻市復興まちづくり情報交流館中央館」の館長を務めていらっしゃいます。宮城県北東部に位置する石巻市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災で、最も大きな被害を受けたまちのひとつです。

第1部では、石巻市の紹介と、津波が石巻市にもたらした状況をお話しして頂き、さまざまな地理的な地図を使って、石巻市の特徴や状況を説明して下さいました。
石巻市は太平洋に面しており、2つの川が流れています。そのため、このまちと海は特別な関係にあり、伝統的に海運業と漁業で知られています。しかし、その海の近さゆえに、2011年の津波では壊滅的な被害を受けました。6~25メートルの高さの津波が何度もまちを襲い、最終的に石巻市の17%が浸水。3187名の方が亡くなられ、415名が行方不明となり、さらに、津波によって大量の泥や瓦礫が流し寄せられ、その除去には長い時間がかかりました。

第2部では、ハルバーシュタット様がこの東日本大震災当時にご経験されたことを語って下さいました。幸いにもその日は石巻の浸水しなかった内陸にいらっしゃったそうですが、その数日後、イギリス政府によるイギリスへの帰国勧告を受けたものの、悩まれた末、ハルバーシュタット様は石巻に残り、復興を支えていくという決断をされました。このことは、国内外のメディアにて取り上げられ、多くの人に知られるようになりました。

プレゼンテーションが終わった後、ハルバーシュタット様は私たちの質問、とりわけ、震災後の石巻の状況と、復興に関する質問について答えてくださいました。今、このまちの最大の課題は、緩やかに進行している人口減少です。津波の前から石巻市の人口減少は明らかでしたが、津波はその減少を加速させました。石巻の復興にどうしても必要となる若者や企業の多くは、仙台や東京などの大都市に移ってしまっています。また、震災の影響は今もなお続いていることから、「いつまでに復興は完了するのか」という質問に答えることは難しいとのことでした。

ハルバーシュタット様には、この研修旅行のメインテーマである東日本大震災に関するとても有益なプレゼンテーションをして頂き、私たちはとてもありがたく感じました。このオンラインでのご講演から5日後、当時発令されていた緊急事態宣言が解除されたこともあり、私たち奨学生のうち5名は石巻へハルバーシュタット様を自ら訪ね、現地で本当の姿を確かめようと決めました。ハルバーシュタット様は私たちに「復興まちづくり情報交流館」を案内して下さり、他の話題についても話すことが出来ました。 (Dang)

3.11みらいサポート

公益社団法人 3.11みらいサポートのオンラインでのご講演は、研修旅行の初日に、石巻市復興まちづくり情報交流館中央館館長のハルバ―シュタット様のご講演後に行われました。東日本大震災後、多くのボランティアが被災地を訪れましたが、宮城県石巻市においても同様で、ボランティアや地元のリーダー、そして、様々な組織が、石巻のより良い未来を作るために力を合わせました。これを受けて、まず一般社団法人石巻災害復興支援協議会(IDRAC)(当時)が設立され、その後3.11みらいサポートとして、安全なまちづくりや防災教育などのテーマを通じて、災害への対応を意識した活動が行われています。また、2つの震災伝承施設を運営されており、そこでは定期的に公開の語り部イベントが開催され、震災での経験と教訓を伝承する活動が続けられています。

ご講演は3つのパートに分かれ、まずは、理事の藤間様より3.11みらいサポートの成立ちや活動内容について紹介して頂きました。そのご説明によれば、これまでに3つの段階があり、1つ目の段階は震災直後、緊急支援のために石巻に来られたNPO・NGO団体のサポート、2つ目の段階は、地域のリーダーや住民組織のサポート、そして、現在の3つ目の段階では、震災の記憶や教訓の継承を目指している語り部や伝承団体のサポートとのことでした。

藤間様のご講演後、震災を経験され語り部ボランティアとして活動していらっしゃる草島様が、2011年3月11日でのことを私たちにお話しして下さいました。震災当時、草島様は石巻市内で最も津波の被害を受けた地域の一つに住んでいらっしゃいました。ご自宅が津波で全壊してしまった後、その場所は現在「緩衝地帯」として非可住地になっており、その一帯には「石巻南浜津波復興祈念公園」が整備されています。

第3部では、ライブカメラを使ってこの石巻南浜津波復興祈念公園のオンラインガイドツアーが行われ、その一帯のかつての様子や、現在の活用のされ方について説明して頂きました。公園内には大きな緑地とともに、犠牲になられた方への慰霊碑や、津波が到達した高さを窓で表現した「みやぎ東日本大震災津波伝承館」があります。また、公園の近くには3.11みらいサポートの伝承交流施設「MEET門脇」や、津波や火災で大きな被害を受け震災遺構として保存される門脇小学校があります。

初日のご講演の後、参加者全員で共に画面を通じて夕食を取りながら、オンラインでのディスカッションを行い、その日にそれぞれが学んだことや感じたことを共有することが出来ました。 (Scibetta)

東京にある宮城県

この研修旅行に参加した9名の奨学生のうち、宮城県を訪れたことがあったのは1名だけでしたので、この東京での研修旅行が始まるにあたって、最初の対面形式のイベントとして宮城県東京事務所のご講演を伺えることは、私たちにとって興味深いことでした。日本の各都道府県は首都である東京に出張事務所を設置しており、東京において県行政を代表し、かつ、各県の魅力を広めていくことをその役割としています。今回のご講演は、東日本大震災からの復興と地域活性化に関する宮城県の戦略の概要というテーマにて行われました。

宮城県は、本州の北東部に位置する東北地方の県です。2011年3月11日に発生した東日本大震災においては、地震と津波による甚大な被害があり、インフラにも大きな影響がありました。あわせて宮城県では、東日本大震災の前からも、そして震災の後も、人口減少に伴う社会構造の変化に関する問題に直面してきています。

宮城県東京事務所の方々は震災後の復興に向けた宮城県の戦略についてご説明して下さり、震災からの復興を単に震災前の状況に戻すというものではなく、再構築の機会ととらえ、社会構造の移り変わりについても長期的な解決策を模索するという、一体となった未来志向のアプローチが進められているとのことでした。また、宮城県は、SDGs(持続可能な開発目標)を考慮した上で、将来世代のために持続可能な生活環境の整備を目標としており、その柱となるのが活気ある地域コミュニティとのことでした。

さらに、私たちは観光地としての宮城県について、日本三景の松島がある世界的に有名な松島湾だけではないということを学びました。県庁所在地の賑やかな都市仙台から、冬はあらゆるウィンタースポーツ愛好家のためのスノーパラダイスであり、下山後は数々の温泉で楽しませてくれる、活火山で登山可能な蔵王山周辺の国立公園まで幅広くあるのです。また、宮城県には食材王国みやぎとして数々の美味しいものがあり、ご講演後に宮城県の料理を専門とするお店に訪ねた際に、私たちはそのことを実感することが出来ました。

私たち奨学生全員には、急ピッチで進んでいる宮城県内での震災後の復興と、社会構造の変化に関する問題を解決していくための未来志向の宮城県の取り組みに対する深い印象が残りました。また、旅先としての宮城県の印象も強く受けました。そういったことから、参加した奨学生の一部は「東北を、宮城を訪ねたい」という願いを、この研修旅行終了後に早速実現させたのでした。 (Sato)

未来の農業の姿とは?

東京都内の緊急事態宣言がようやく解除され、幸いにも対面形式で集まることができた2日目には、東京を拠点とするスタートアップ企業の株式会社プランテックス(PLANTX)を訪問しました。PLANTXは2014年に設立され、それ以来、いわゆる垂直農法(vertical farming)の最適化に取り組んできた企業です。この垂直農法は、従来の畑ではなく、水を張った棚に植物を植えていく栽培方法で、最も一般的な垂直農法は、大きな密閉されたホールのような空間の中に開放された形で「棚」を設置し、そこで植物を栽培するというものです。

このシステムの利点は、植物の成長には好ましくない予期せぬ環境影響からの保護が出来ること、季節に関係なく通年栽培が可能であること、栽培した野菜はとても清潔でかつ農薬を使用していないことなどが挙げられます。ただ一方で、この栽培方法はまだ実用化して間もないことから技術的に発展途上であり、栽培環境の制御のムラが大きく、生産が安定しないという課題が残っています。このような一般的な植物工場に見られるオープン・タイプではなく、PLANTXは棚ごとに密閉されたクローズド・タイプで栽培するというアプローチをとっています。

このクローズド・タイプのシステムの利点は、さまざまな環境変動要因(CO2濃度、温度、光量など、現在は合計20種類)を緻密に制御できる点にあります。オープン・タイプに比べて緻密な栽培が可能になり、高い効率が期待されます。

今回のご説明の中では、このシステムは世界の人口増加に伴う食料需要の増加に伴う諸課題を解決する可能性を持つものであり、栽培する作物の品質を高め、同時に生産効率を高めるアプローチであるということが強調されました。

私たちが訪問したこの日には、代表取締役社長で創業者でもある山田耕資様からご挨拶を頂いた後、戦略室長の伊藤陽介様より会社の紹介と人工光型植物工場に関する説明をして頂きました。その後、実際に、Culture Machineと呼ばれる設備を見せて頂き、最後に参加した奨学生からの質問に答えて頂きました。事業拡大を予定しているので、英語を話せる方を歓迎していますとのお話しがあり、奨学生の一部は、この機会をとらえて、名刺交換をさせて頂きました。

その数日後に伊藤様から、SP Japanプログラムにおける企業研修修了後において、これまで私が学んできたAI技術の専門性を活かしたPLANTXでの仕事の機会について、お話しをする場のご提案を頂きました。将来、このSP Japanプログラムで学ぶ奨学生に、PLANTXにおいてどのようなチャンスがあるものだろうか、と思いますが、いずれにせよ、このプロジェクトは、非常にエキサイティングで将来性があるものだと私は感じました。 (Hajiabadi)

雫石町での日独交流

東日本大震災後の東北地方に関する意見交換というテーマのもと、岩手県立大学名誉教授のウヴエ・リヒタ様と、Skypeを通じてお会いしました。岩手県雫石町に長く住んでいらっしゃるリヒタ様は、雫石町とドイツの友好都市(バードビンプフェン市およびネッカーズルム市)との交流を長く支援されてきました。雫石町も参加している、東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて創設された「復興ありがとうホストタウン」プログラムは、東日本大震災後の支援に対する感謝の意味も込められています。リヒタ様は、この日独交流がどのようにして実現してきたのか、その経緯を詳細に、かつ、生き生きと語ってくれましたが、それはとりわけ、リヒタ様のご友人との個々の繋がりによって実現したものでした。

しかし、私たちが特に感銘を受けたのは、リヒタ様の長年にわたる日本での生活経験と、日本と中国の文化圏に関する深い知識でした。中国研究者であり、大学で教授も務められていたリヒタ様は、私たちの根掘り葉掘り尋ねる質問に十分に答えて下さり、中国と日本でのキャリアや、岩手にたどり着いた経緯などをユーモア溢れる口調で話して下さったことが印象的でした。リヒタ様の近所にある馬牧場やカヤックツアー、美しい山間の温泉の話などを伺うにつれ、みんな東北への憧れが強くなり、この研修旅行終了後には、リヒタ様(今はウヴェさんと親しく呼んでいます)の家を訪問するというお誘いを直接受けた奨学生もいました。

特に、リヒタ様が30年近く住んでいる地域の変化についての洞察は、非常に刺激的でした。リヒタ様が雫石に来た当初は、「そこには外国人がほとんどいない」と言われていたそうですが、それがむしろ移住の理由になったそうです。もちろん、その状況は今とは異なっていて、翌週に奨学生の何人かで岩手を訪れたときも、決して私たちが最初の観光客というわけではありませんでした。しかし、確かにリヒタ様のおかげで、十分な背景知識を持って訪れることが出来ました。 (Hermann)

釜石にある伝統と新しきもの

オンラインでの東北研修旅行3日目は、岩手県釜石市にて100年以上の歴史を持っていらっしゃる味噌・醤油メーカー藤勇醸造株式会社の小山明日奈様とのバーチャルミーティングから始まりました。2011年の東日本大震災は、東北地方そのものだけでなく、私たちの東北に対する見方にも大きな影響を与えましたし、何より、沿岸地域のほとんどの人々にとって、地震と津波は人生を変えてしまう極めて大きなことでした。しかし、企業も同様に、震災による被害が大きくあり、現在もその震災の影響を受け続けています。藤勇醸造にとって東日本大震災は、昭和三陸津波、第二次世界大戦に続く、3度目の会社存続に関わるようなことでした。津波は、生産設備のほとんどを破壊し、売ることの出来ない商品を抱え、そして、会社が継続できるかどうかも疑問だったそうです。

“危機をチャンスとして捉える”というフレーズは、経営者向けの講演会や雑誌のスローガンに過ぎないことが多いものです。特に、この東北での自然災害による企業危機となると、このフレーズはある意味ぞっとするものです。しかし、藤勇醸造の場合は、このフレーズが意外にもしっくりと来るように思えます。小山様は、震災後に釜石を訪れたボランティアの人たちと話し合い、協力することで、新しいビジネスコンセプトが生まれたと話してくださいました。以来、藤勇醸造は、既存の商品である味噌や醤油に加えて、十割糀みそ入りケーキなどの新商品を生み出してきました。また、他の生産者の方々と協力して、この地域の新しい商品を開発し、共同で販売できるようにもしています。その中には、プロダクトデザイナーやマーケティングの専門家も含まれていて、その方々は、商品の新しいデザイン、オンラインショップを含めた機能的なウェブサイト、そしてソーシャルメディアの活用を共に発展させていきました。その後、藤勇醸造はいくつかの商品において国内の数々の賞を受賞し、日本経済新聞の一面を飾ったこともありました。既に、次なる革新的な商品に手が付けられています。藤勇醸造では、今後さらに女性のお客様に焦点を当てていくとのことで、「AsunAmoon」という化粧品シリーズとして新たな商品が追加されています。

そんな中でも、藤勇醸造にはまだ直面する課題があります。会社の規模は十数名と比較的小さく、地域での人口減少の影響で適切な人材を見つけるのは容易ではないとのことです。これは、2011年の東日本大震災による直接的な影響でもあります。

私自身にとって、今回のご講演内容と、その後の質疑応答が強く印象に残っています。このオンライン講演の私たちの会場となった会議室には、実際に手に取ったり試したりすることが出来るよう、いくつかの藤勇醸造の商品が並べられ、品質の良さを実際に確かめることが出来ました。藤勇醸造はこの10年間で目覚ましい発展を遂げ、将来に向けた強いコンセプトを持っています。しかし、私の中で最も印象に残っていることは、藤勇醸造のプロジェクトにかけられている、その大きなエネルギーと日々の確かな仕事です。私は、藤勇醸造がこれからも着実に発展していくことを願っていますし、また、私自身、会社とその背景にある数々のストーリーのファンになったというのは確かなことです。 (Unterberg)

日本の地方都市にあるバイエルン州の企業

日本は多くのハイテク企業や新技術の発祥の地であり、マーケットには、富士通、三菱、ソニーといった日本の大手企業がひしめいています。とは言うものの、伝統的なドイツ企業も目にすることが出来ます。その一つがBauer Kompressorenです。ドイツ・ミュンヘンの家族経営企業で、日本を含む世界の多くの国で活動しています。

1984年に設立された子会社のバウアーコンプレッサー株式会社は、それ以来、ドイツの高圧技術を日本で販売しています。驚くべきことに、バウアーコンプレッサーの日本の中心拠点は他の多くの会社のように東京ではなく、岩手にあります。緑豊かな環境でありながら、他方、空港が近くにあり、新幹線も通っているため、国際的な企業にとっては理想的な環境のようです。

研修旅行時になお新型コロナウイルス感染拡大が続いていたことから、残念ながら直接会社を訪問することは出来ませんでした。しかし、私たちが宿泊した東京都内にある旅館の会議室からオンラインにて訪問することが実現し、ビデオチャットという形式で、会社についてお話しして頂き、社員の方々と意見交換をすることが出来ました。

ドイツ本社では新製品の開発が進められている一方で、こちらの日本の会社では製品の販売や、製品を日本市場に適合させていくことが中心となっています。このコンプレッサーというニッチ市場において、日本市場の約80%のシェアを確保しているとのことで、主な取引先は、ダイビング業界のほか、消防や警察などだそうです。

また、普段のお仕事の様子や課題についても質問することが出来ました。例えば、ドイツの親会社との間で時々起こる文化的なコミュニケーションの難しさや、ドイツ人の仕事のやり方が日本人とは違うことなどを参加した社員の方が話して下さいました。加えて、呼吸器ボンベ用の空気をコロナウイルスから浄化することが出来るバウアーコンプレッサーの最新製品についても知ることが出来ました。このようなディスカッションは、技術的に深みがあっただけでなく、文化的な違いが仕事を進めていく中で、いかに大きな影響を与えているかを明確に示していました。

もともとドイツの会社ではあるとしても、岩手にあるバウアーコンプレッサー株式会社の全ての従業員は日本人であることから、バウアーコンプレッサーからお話しを伺えたことは、ドイツに由縁を持つ企業であるにもかかわらず、私たちにとってはまったく新しい体験となりました。 (Killus)

最後は酒蔵にて

今回の研修旅行の締めくくりとして、東京西部の青梅市にある小澤酒造株式会社を訪ね、23代目当主で代表取締役社長の小澤幹夫様に、貴重な時間を割いて酒蔵の中を案内して頂きました。

小澤酒造は、東京都内にある伝統的な酒造りを守る10ある酒蔵の一つです。こちらの酒蔵で造られている日本酒は、主に「澤乃井」ブランドとして販売されています。このお酒の名前の由来は、発祥の地である「澤井」から来ており、この地域には清らかな山からの水がたくさんあることを表しています。日本酒造りには水の良さが大切な要素の一つであり、300年以上も前からこの地域で日本酒が造られてきたことは、驚くことではありません。実際、小澤酒造の記録は既に1702年に残っています。

小澤様は、日本酒造りの流れを説明して下さったばかりではなく、日本文化における「日本酒」の重要性についてもお話しして下さいました。日本酒は今でも日本人にとって神聖なものであることから、蔵の入り口には小さな神棚があり、「杉玉」の伝統もあります。これは、新酒が出来上がると、杉の葉を丸く束ねた大きな玉を蔵の前に吊るす習慣です。酒の神様がこの玉に身を沈めると信じられています。

また、酒蔵の普段の姿を知ることができたのも、とりわけ興味深いことでした。私たちが訪れた時、酒蔵の隅々まで徹底的に清掃されていました。春の終わりから夏にかけては、気温が高すぎて十分な品質の酒を造ることができないため、この時期に「大掃除」が行われるのです。加えて、この時期は、日本酒造りで慌ただしかった小澤様が少し落ち着ける時間でもあるようです。

酒蔵を見学した後は、隣接する庭園にある売店で、澤乃井のお酒を味わうことができました。また、お土産に直接ボトルを購入した奨学生もいました。小澤酒造は、大都会の喧騒から逃れたい東京の人々にとっては、とてもお勧めの日帰り旅行先です。このような酒蔵見学に加えて、隣接する川沿いの庭園では、飲食を取ることも可能です。

※今回は十分な感染対策を行った上で、特別に酒蔵見学をお認め頂きましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、当面の間は酒蔵見学受付を休止されていらっしゃいます。再開時期についてなど詳細につきましては、小澤酒造株式会社のホームページをご覧ください。(2021年7月中旬時点) (Schwarz)

日本語学習と企業内研修(SPプログラム)

日本語学習と企業内研修(SPプログラム)について詳しく知りたい方はこちら:www.daad.jp/ja/sp-japan/